私には大好きだった母方の祖母がいました。小さい頃からよく一緒に畑仕事をしたり庭いじりをしたり、編み物と料理も祖母から教わりました。いつも私に優しく、綺麗好きで料理上手な祖母の変化に気づけなかった私の後悔をお話しします。
認知症だと思えなかった
その頃は祖母とは別々に暮らしていました。祖母が足首を痛めてひと月ほど入院したのは私が高校2年生の頃でした。その頃は友達と遊ぶのが楽しく毎日帰りはおしゃべりをしてから帰るので家に着くのは7時過ぎになり、よく怒られていました。
そんな中でも祖母のお見舞いには行き、洗濯物を持ち帰ったりしていましたが、失禁がたまにあり下着が汚れていました。その頃から、もしかしたらもっと前から祖母の認知症は始まっていたのかもしれません。
祖母は家に帰ってからも度々失禁をしたり、部屋が片付けられなくなっていたりしていましたが、きっと足が痛いからなんだろうなと深く考えず見ていました。
変だと思った時にはもう遅かった
たまに祖母のところへ行くと祖母はインスタントラーメンばかり食べていました。買い物に行けず食べられるものが無かった時は砂糖を舐めていてギョッとしたのを覚えています。
流石にちゃんとしたものを食べないとと思い料理を作り、「作っておいたから食べてね」と言っても数日後には手をつけず腐ってしまったものが置いてありました。「食べなかったの?」と聞いても「食べていいと思わなかったから」と言っていたので、私が「食べていいよ」と言い忘れたのかと思いあまり気にしませんでした。
またその数日後には兄が祖母のところへ行くと失禁していたらしく掃除をしてきたと言っていました。今まで床まで汚したことはなく驚いたのを覚えています。
最後まで後悔しかなかった
祖母が床まで汚してしまう失禁をしてしまった次の日、私はデートの予定があり朝から出かけました。家を出る時にみた空が気持ち悪く嫌な感じがしましたが、約束の時間に間に合わないと思い、急いで出かけました。
今思えばあの時に行くのをやめれば良かったんです。デートの最中に母から電話があり「どうしたの?」なんてのんきに電話に出ると祖母が急に具合が悪くなったから早く帰ってきてと言われました。
バスが昼頃はあまり走っていないので、帰るのは2時間後くらいになると伝えると母から祖母が亡くなったと言われました。いきなり言われて信じられるわけもなくただ血の気が引きました。ギリギリ間に合うか間に合わないかのバスに飛び乗り帰りましたが、自宅で亡くなっていたため警察が来たりしていて葬儀まで会えませんでした。
あの時ああしておけば
祖母はとても元気でしかもまだ70代で、自転車に乗り、食事も義歯を使わずすべて自分の歯でご飯を食べられるのが自慢でした。そんな祖母を見ていて私の中で祖母は大丈夫という気持ちがどこかにあったから気づけなかったのか、ただ単に認知症の知識が無かったから気づけなかったのかは分かりません。
今は変だなと思ったあの時に何故相談をしなかったのかと自分を責める日がまだあります。もちろん私のせいではないと家族は言いますが、後悔ばかり残っています。だって自分の一番好きな人が自分が変化に気づけなかったために亡くなってしまったんです。あの時なんで嫌な感じがしたのに出かけてしまったんだろう、なんでもっとこまめに会いに行かなかったんだろう。今更遅いですが、ああしておけばと思うことがたくさんあります。
まとめ
毎日一緒にいると少しずつ変わっていく変化には気づきにくいものです。
ちょっと忘れっぽいかな、最近失禁するようになったな、片付けできなくなってきたな。等年齢に伴うことももちろんありますが、認知症を疑ってみてください。そして、相談してください。そのまま何か万が一の事があったら絶対後悔します。認知症になってしまうのは仕方がないことだとしても、それに気づけず何もできなかった時の後悔は本当に苦しいです。皆さんは後悔のないようにご家族と向き合ってください。
ライタープロフィール
ぶん
自宅で半身まひ、認知症の祖父を半年間介護。高卒で介護士を目指し介護職員初任者研修取得。病院で介護士として2年働き、現在は子育て中のため退職。