8年もこの仕事をしているとたくさんの利用者様に出逢いますが、『忘れられない利用者様』との出逢いが中にはあります。
そんな利用者様について今回お話したいと思います。
大人しそうに見えて・・・
私が今のデイサービスに就職した時には既に利用されていた女性の利用者様。
(以後Sさんとします)
利用中も誰かと仲良くお話されるでもなく、比較的おとなしめの方でした。
ある日お迎えに伺うと、息子様から「姥捨て山に捨ててきてもらえ。」と暴言を吐かれ、それに対して「親に向かって何言うとんや!!」と言い返しておられました。
普段あまりお話される事もない方でしたが、我が子に対してはしっかりと発言をしているのを見て『年老いても、ちゃんと母親なんだなぁ・・・。』と思った事を今でも覚えています。
認知症の進行
問題行動を起こすタイプの認知症ではなく、どちらかというと「何食べたか忘れたわ。」「さぁ・・・覚えてないなぁ。」という物忘れが目立つタイプの認知症を発症していたSさん。
紙パンツも使用されていましたが、トイレにはご自身で行かれていましたし、入浴時と帰宅前に汚れていれば交換する程度の身体的には比較的軽度の方でした。もちろん食事もご自身で摂れて、移動する時も誰の手をかりるでもなく、お一人で歩けていました。
それでも、自宅に帰ればやはり手のかかるおばあさんだったのか、息子様の風当りは徐々に強くなっていきました。
今思うとあれは虐待だったのだろうと、後になって気付きました。
少しずつ増えていく傷
ある日いつもの様にお迎えに伺うと、お顔に傷がある状態で出てこられました。
息子様からは「今朝こけたんや。」と説明を受け、Sさんも特に何を言うでもなく黙っておられた為、そのままお連れしていつもの様に過ごして頂きました。
入浴時に服を脱いだ際にも膝や腕にも傷や内出血があり、すごいこけ方をしたのかな・・・とその時は思っていました。
「転ばない様に気を付けて下さいね。」という声かけに「ありがとう。」と笑顔で答えて下さったSさん。
それでもそのあたりから傷の癒えない日々が続きました。
またある日迎えに伺うと、今までに見たことのない程、衝撃的な状態で出てこられたのです。
お顔は誰かに殴られたかの様に青く腫れていて、頭頂部には腫脹・・・。
明らかにおかしいとその場にいたスタッフも同乗していた他の利用者様も思ったに違いありません。
息子様からは前回同様の説明がありましたが、どう考えてもその転倒でこんなにまでなるハズはないとすぐに分かりました。
さすがにその状態で、利用を断れる訳もなくこのまま自宅で過ごして頂くよりはとの判断でとりあえず乗車して頂き、デイサービスにお連れしました。
その時息子様からは「出された飯は全部食ってこいよ!残したら勿体ないぞ。」と傷を心配するどころか、そんな言葉が出てきました。
最初の頃にお会いした息子様の暴言に言い返していたSさんの面影は、その頃にはすっかりなくなってしまっていました。
認知症があっても・・・
もちろん全スタッフやSさんの担当ケアマネージャーも、息子様の 「こけた。」という説明をいつまでも鵜呑みにする訳もなく、とりあえず
傷をつくってきた時には全て写真に撮り、何かあった時に証拠に出来る様に準備はしていました。
上述の傷をつくってきた時には、さすがに他の利用者様もびっくりする事も考え、通所後からベッドで休んで頂いて腫れてしまったお顔と頭をアイスノンで冷やして対応をしました。
今まで何を聞いても「忘れた。」「何でやったかなぁ?」としか返事が返ってこなかったSさん。
でもその時初めてこちらが尋ねた事にしっかりと答えて下さったのです。
「こけたんとちゃう。息子に叩かれたんや。」と・・・。
今回の事はSさんにとって、認知症の力を以てしても忘れる事ができない程怖くて辛い記憶になっているのだと痛感しました。
又、夕方帰りの車に乗る時も「帰りたくない。」と言われたのを聞いて、このまま放っておく訳にはいかないとその場にいた全スタッフが思っていたのではないかと思います。
【まとめ】
その後すぐに担当のケアマネージャーが動いてくれたのか、Sさんは施設に入所し、デイサービスは中断となりました。
認知症があってもとても穏やかで、笑顔が素敵だったSさん。
中断になる直前は、笑顔をほとんど見る事はなくなってしまいましたが、新しくお世話になった施設で、また以前の様な笑顔を取り戻して穏やかに過ごしてくれたらと願うばかりです。
ライタープロフィール
りらくま
7月生。
平成21年に現在の仕事に就き、平成25年に介護福祉士の資格を取得。
後生活相談員として現在も仕事中。