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私が介護職から主任介護支援専門員になるまで~ライター太郎丸の場合~

2017年8月24日 14:42

介護職経験談

介護の世界に身を置き十一年が過ぎた今、何故この職業に就くことを選んだのかと思う事があります。福祉系の専門学校を卒業したわけでも、幼い頃から介護の世界に憧れを抱いていたというわけでもありません。ごくごく普通の家庭に生まれ育ち、大学を卒業し、そのままこの業界に足を踏み入れたのですが、動機は何であったのか。特段、それまで福祉に興味関心や、ボランティアといった経験というものもない自分がどうして今日もこの場に立っているのか。

きっかけは父親の死去

一つきっかけとして、父親の死去が関わっていたように思います。父親が亡くなったのは、私はまだ十九歳で大学生でした。当時は将来に向け就職の事等を考え始める時分で、夢だなんだと駆け回っているわけにもいかず、加えてどんな大手企業でも倒産が次いで事もあり、「ただ就職するだけでは駄目だ。一つ手に職を身につけなければ生きていけない」と考え始めたのが始まりでした。

手に職が欲しかった

私は中学生の頃から、物書きになる事が夢で、実際大学生になってもその夢を追っていたものですから、専門的な技術等まったく持ち合わせていませんでした。
また専門的なスキル等一朝一夕で身につけられるわけもなく、しかしこの先を生き抜くためには、何か秀でた技術が必要で、

そんな時
ホームヘルパー2級取得講座取得の知らせを目にしたのです。

取得費用もさしてかからず、何より取得のために要する時間が、夏休みを利用すれば十分に問題がないものであったため、成程これを利用しない手はないと思い申し込みを行ったのです。申し込みに至ったもう一つの背景に、当時よく耳にしていた「高齢化社会」という言葉が多分に影響していた事と思います。

高齢化社会を生きていく

将来を考えるという点で、学生の頃重要視していたのがこの先長く伸びていく業界であるという事でした。高齢化社会の事を自分なりに調べていく中で、増え続ける高齢者人口の影響もあり介護の世界はこの先も決して無くなるという事はなく、そればかりかますますその必要性、需要は高まるばかりという事が分かりました。

結果、

「手に職」
「将来も伸びる職種」

という二つを満たしているという点で、この世界に飛び込む決意に至った、というわけなのです。
今思えば、どうにも打算的で福祉を志す者としては、かなり不純な動機であり、あまり人にほめられたものではないと思います。

しかし、この至った理由は別としても、「どうせやるなら中途半端はやめよう」と決意し前をしっかりと見据えていた記憶があります。

実際に働いてみて

無事ヘルパー2級を取得し、大学も卒業、そのままとある老人保健施設就職する事になったのですが、今でも鮮烈に覚えているのは、初日からご利用者の排泄介助を任されたという記憶です。

確かに、勉強はしてきましたがあくまで座学で学んだものに過ぎません。実戦経験等、無いに等しく、人によってはリアリティショックで目を回してもおかしくなかったかもしれません。

ところが、存外にそんなショック等なく、さもそれが当然のように受け入れる事ができたのです。排泄介助はお世辞にも上手にできませんでしたが、ただ目の前の事実をすんなりと受け止めていたのです。それは、確かに仕事への責任感という事もあるかもしれませんが、同じ人間である以上当然の事だとそれ以上に感じていたためだったのです。「これは天職かも」と思いを抱きながら、介護職として勤める事になったのですが、決して順風満帆というわけにはいきませんでした。

丁度、一年半程過ぎたあたりから、猛烈に辞めたいと思うようになったのです。それが賃金の問題なのか、あるいは人間関係のもつれなのか、正直何が理由かというのは覚えてはいないのですが、ほぼ毎日辞めたいと思っていた事は今でも記憶しています。

仕事を続ける決意の先に

石の上にも三年。
どうせ辞めるならせめて介護福祉士を取ってから辞めようと、今少し仕事を続ける決意をしたのです。

こうして、三年目にして介護福祉士を取得したのですが、この時点では実は辞めたいという思いは影も形もなくなっていました

おそらくあの頃の辞めたいという気持ちが思い出せないでいるのは、言わばこれが一過性の風邪のようなもので、誰しもが通る道であり、そこには理由らしい理由も端から無かったのではないかと思います。

運命を決める出会い

さて、同じ時期に一人のケアマネジャーと知り合った事が私の運命を決定的なものにしました。

その女性は、ERの現場に長年いた看護師であり、ケアマネジャー部会の部長を務めている方でした。一緒に働く中で、その女性の理知的で、常に凛としたその姿勢と仕事の正確さに、私はこんな人間になりたいと思ったのです。それと同時にケアマネジャーになりたい、とも思い始め、まだ介護福祉士をとったばかりでしたが、早速ケアマネジャーを取るべく勉強を開始しました。

ケアマネジャーの仕事の一つにケアプラン作成があり、これが文章を書くという点で、私の心に火を点けました

現在に至るまで

その後、数多くの失敗や出来事を重ねたことを記憶しています。
ご利用者の事故、家族への謝罪等、反省や後悔の数は両の指だけではとてもとても足りません。

それでもなんとか五年目にケアマネジャーを無事取得。そしてほぼ同時期に最初の職場を退職する道を選んだのです。

退職理由はもっと大きな世界を見てみたいという気持ちと、一日でも早くケアマネジャーとして働きたいという思いからでした。

その後、有料老人ホームで専従のケアマネジャーとして六年程働き、今日では地域包括支援センターにて主任介護支援専門員として従事しています。この十一年間で三つの職場を経験してきましたが、いずれも濃密でそこでしか得られない経験ができました。

苦しくても顔を上げ、常に前を向き、次に繋がるようにステップアップを目指し考え行動した結果、今日があるのだと、感謝と共にそう思っています。

ライタープロフィール

太郎丸
日本文学系大学卒業後、介護老人保健施設に介護士として就職。
介護士として3年目に「介護福祉士」を取得。
主に認知症介護に加え、口腔ケアや排泄ケアを専門に取り扱うようになる。
後、5年目に「介護支援専門員」を取得し、介護老人保健施設を退職。

退職後、有料老人ホームに介護支援専門員として再就職。
6年間常勤職員として、施設サービス計画書の作成の他、施設の運営等にも関わる。

有料老人ホーム退職後、主任介護支援専門員として地域包括支援センターに常勤職員として勤めるようになる。
現在、国が推し進める地域包括ケアシステムの構築のため、日夜邁進。

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