私の主な仕事は訪問介護ヘルパーの事務を担当しているのですが、今回はヘルパーさんから聞いたМさんという一人暮らしのおじいさんのお話です。
ネコたちとご飯
最近、認知症の症状が進んだМさん。生活福祉課からの依頼で訪問介護のヘルパーさんが入ることになりました。身寄りもなく親しい人もなく、狭いアパートは足の踏み場もないほど散らかり放題。Мさんは淋しさからか3匹の野良ネコと暮らしていました。ヘルパーさんが初めて訪問した時は、ペット用の缶詰をネコたちと仲良く分け合って食べていたというから驚きでした。
一般的に、女性の一人暮らしは地域との関わりがあるため周りに助けられ生活力があったりますが、男性は失業を機に一日中誰とも会話しないといった社会から孤立してしまうケースが多いようです。
何でもおいしいと食べてくれるМさん
主なヘルパー活動は昼の食事作りでした。へルパーさんは限られた時間の中で、片づけを手伝ったり買い出しに行ったり、時にネコたちの世話をしました。はじめのうちは、Мさんも警戒していたようでしたが若い男性ヘルパーさんが日替わりで訪問するようになったので、昼前になると腹時計も鳴るのか、事務所に電話をしてくるようになりました。
第一声はいつも「兄ちゃんは、まだこんのか~」。受話器の向こうからネコたちの合唱する声が聞こえてきます。「わしのかわいい猫ちゃんたちも腹が減って、にゃーにゃーうるさくて困るわ」そんな冗談を言いながら、ほのぼのとする会話でした。
Мさんはヘルパーが作るものは、失敗作でも何でも「おいしいよ」と食べてくれたそうです。だからでしょうか、料理が苦手なヘルパーもМさんの訪問には喜んで行きました。「今度はもっとおいしいものを作ってあげるね」と、やる気の場にもなっていたようです。しかし、Мさんは歯がなく人工肛門だったため、固いものや消化の悪いものは食べられない身体でした。
突然の迷子
ある日、いつものように訪問するとМさんはいませんでした。以前からМさんは自転車や徒歩でふらふらと当てもなく外出したり、病院に行ったりしていました。時間がかかって帰れない時などは必ず事務所に伝言してくれていたのですが、この日だけは違っていたのです。
朝から冷たい雨が降り続いていました。Мさんはどこに行ったのだろう。すぐに私はケアマネに報告しました。ヘルパーさんたちも訪問活動をしながら、街のどこかにいるМさんの影を探し続けました。
日が傾き始め、いよいよ辺りも薄暗くなってきた頃、ケアマネから連絡がありました。Мさんは傘もささずに歩いているところを親切な方に声をかけられ警察署に連れてこられたのですが、そこからまた行方不明になってしまったというのです。なぜ?と首をかしげたくなる警察の対応でしたが、それには訳がありました。
以前、Мさんは自転車の盗難をして捕まったことがあり、ケアマネは認知症を理由にМさんを罰しないでほしいと裁判所に申し立てた経緯がありました。警察はその時のことを覚えていたため、またあのお騒がせなじいさんかと帰してしまったというのです。
とうとう夜になってもМさんは帰ってきませんでした。
この時、Мさんにかかわる人はみな『行方不明』という最悪な状況をどうすることもできませんでした。こんな日がいつか来るかも…と頭のすみっこで恐れてはいたのですが、いつも人当りのよい素直で明るい性格のМさんは、なにかと人に助けられてきたし帰巣本能もあるだろうと軽く考えていたのかもしれません。
その後、病院から連絡がありМさんは救急車で運ばれたことを知りました。自宅近くのパチンコ店の駐車場で、ずぶ濡れで倒れていたのです。それを聞いた私たちは、見つかって本当によかったと胸を撫で下ろしました。と同時に、雨の中あの距離をよく歩いたものだと驚くばかりでした。警察署からアパートまでどうがんばって歩いても、40分以上はかかる距離だったのです。
地域で見守る介護を
Мさんはしばらく高熱が続きましたが、特に怪我もなくすぐに退院できました。しかし今までのように一人暮らしをすることは難しいと判断され、今は施設入所し安心して暮らしています。
高齢者の場合、毎年約1万6千人もの行方不明者が出ており、その中でも認知症の徘徊で自宅に戻れなくなるケースが多い中、Мさんはやはりラッキーな方だと感じずにはいられない出来事でした。
今後、ますます増える独居と認知症の徘徊という課題。私たちはネットワークを作り、地域全体で見守る介護を早急に整備しなければいけない時代が来ているのです。
ライタープロフィール
あしあと
特養ヘルパー3年を経て、現在は訪問介護ヘルパーを担当する13年目のベテラン事務員。
縁の下の力持ちとして活躍中。
介護福祉士・福祉住環境コーディネーター2.3級・介護タクシーに必要な普通2種免許取得