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私が介護士になるまで~ライターあしあとの場合~

2018年2月27日 12:31

私の介護職スタート物語

介護業界に入ったわけ~自分の足跡を振り返る~

「人の役に立ちたい」「やりがいがある」
そんな言葉からは無縁だった私が、介護福祉士になるまでのお話です。

何もない自分に何ができるのだろう?

将来はマスコミの仕事に就きたいと、就職活動をがんばっていました。履歴書を何度も書き直し、受けては落とされる面接の日々。大学卒業が迫ってもなかなか内定がもらえず、とうとう私は実家に帰ってきました。今思えば、世間でいうバブル崩壊の波にのまれてしまっていたのです。資格もない、お金もない、ただ若いだけの自分に何ができるのだろう。すがるような思いで職安に行きました。そこで見つけたのは、特別養護老人ホームの寮母募集でした。昔、特養で働く介護職員は寮母さんと呼ばれていました。

職安の方からは「お給料は良いけど、夜勤もあるし大変だよ」と言われましたが、内心やってみなければわからないでしょ?と高を括っていたのでした。

夜勤での出来事

あまり深く考えずに入った世界は、毎日が驚きの連続でした。今までお年寄りと触れ合う機会など全くなかった私は、食事や入浴介助、おむつ交換など当然ながら初めてのことばかりでした。先輩方のご指導のもと、必死にこなすだけで精一杯。入った部署は認知症の病棟だったため、奇想天外なお年寄りとどう接していいのかも分からない状態でした。正直人の役に立ちたいなんて気持ちはなく、ただお金を稼ぎたいという理由だけで選んだ仕事でした。

そんな中、ある事件が起きました。試用期間を無事に終えた私は、いよいよ先輩と2人で夜勤を担当することになりました。深夜になり、おむつ交換と水分補給のため巡回している時でした。この日、初めてのショートステイで宿泊されていたおばあさんがいました。私は「トイレに行きますか」と声をかけると、おばあさんは目をつぶったまま首を小さく横にふります。就寝前はベッドサイドのポータブルトイレを使用されたし、特に変わった様子もなかったので、きっと今は眠たいのだろうなと思いました。そして、夜明け前の最後の巡回をしていた時のことです。先程のおばあさんの様子が何かおかしい、まったく息をしていない、すぐに分かりました。身体をさわるとまだ温かい。なのに頭が真っ白になった私は、先輩をただ呼ぶことしかできませんでした。先輩はすぐさま、心臓マッサージで蘇生を始めながら「救急車呼んで!」と叫んでいました。
 

看護師からの言葉

さっきまで笑顔だったおばあさんが、数時間後には突然亡くなってしまうというこの出来事は、20年以上経った今でも私の心の奥底で恐怖と後悔という形で鮮明に残っています。当時この施設で急死するケースはなく、周りは「運が悪かったね」と同情してくれましたが、私は運が悪かったなんて、そんな簡単な言葉で片付けたくはありませんでした。何度も巡回で顔を見ていたのに、何も気づくことができなかった自分が本当に許せなかったのです。

地獄のような長い夜勤が終わる頃でした。

「きっと、あなたは○○さんから最期に選ばれたのよ」

普段、会話をすることのなかった施設の看護師さんから、そんな風に声をかけられたことを今でも覚えています。その瞬間、ずっと堪えていた感情が一気に溢れ出し、私はやっと涙を流すことができました。
 

人の役に立ちたい

それからの3年間は本当に一生懸命働きました。お年寄りにとって終の棲家であるこの場所が、住みよい場所になるように家族のように接し、怪我をしないように、病気にならないように心を配り、人の命を預かっているのだと肝に銘じて働きました。そして、介護保険制度がスタートする頃に一度離職しましたが、結婚、出産を経て再就職を考えた時、自然と「人の役に立ちたい、やりがいのある仕事に就きたい」と思える自分がいました。新しい介護保険制度の下、福祉でしかなかった介護が、新たな形のサービスとして世間にどんなふうに受け入れられているのだろう。そんな興味もあり、介護の世界に戻ることにしたのです。
 

これからも介護と共に

現在、介護事業所の事務員になって12年が経ちました。事務の仕事は介護に間接的ですが、訪問介護のヘルパーたちの縁の下の力持ちとして、訪問の予定を立てたり書類作成をしたりと忙しい毎日です。一旦離れた介護の勉強も一からやり直し、介護福祉士と福祉住環境コーディネーター2.3級の資格、介護タクシーに必要な普通2種免許も取得しました。 

ある日、訪問先で孤独死に遭遇してしまった介護職が事務所に帰ってきました。彼の憔悴しきった顔には、無念さと無力さがにじみ出ていました。

「○○さんはあなたに見送ってもらいたかったのよ」と、私はあの時の看護師さんと同じように優しく声をかけることができました。あの辛い経験がなければ、今の自分はいなかったはず。振り返れば、大きな時代の流れでここまで導かれたようにも思います。これからも介護と共に歩んでいきたいと考えています。
 

ライタープロフィール

あしあと
特養ヘルパー3年を経て、現在は訪問介護ヘルパーを担当する13年目のベテラン事務員。
縁の下の力持ちとして活躍中。
介護福祉士・福祉住環境コーディネーター2.3級・介護タクシーに必要な普通2種免許取得。

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