私は介護の業界に入って17年です。たくさんの職種を経験し、たくさん転職をしてきました。
施設での経験も多いですので、出会った利用者さんは500人はくだらないと思います。
そんななかで、一番印象に残っていて、かつとっても大切なことを教えてくれたAさんについてお話しさせていただきます。
このAさんとの出会いが私の介護観を変えました。
そしてなにより、とってもステキな方でした。
100歳まで一人暮らししていたAさん
Aさんとは、私が新卒で入った老人保健施設で出会いました。当時私は23歳、介護職2年目ながら、入れ替わりの激しい施設ではすっかり中堅になっていました。仕事にも慣れ、良くも悪くも自信にあふれていた時です。
その老健のそのフロアでの夜勤は一人体制、朝は4時から始まる「とんとんとんとん」という足音から始まります。
早起きのAさんが、車イスに移って詰め所の横で足踏み運動をする音です。
Aさんはそのとき100歳。認知症もなく、とってもかわいらしいおばあさんでした。Aさんが入所してきた経緯というのがまたすばらしく、一人暮らしをしていたおうちで100歳のお誕生日を友達や家族と盛大に祝い、酒盛りをして、酔っ払って転倒し大腿骨を骨折、手術後にリハビリ目的で老健に入所してきたのです。
老健とはいえ家に帰る人などほとんどいない中、Aさんも家族さんも在宅復帰をめざしてとっても頑張っておられました。
Aさんが私に教えてくれたこと
たくさんのお友達や家族さんがお見舞いに来てくれるAさんは本当にかわいらしくて魅力的な方でした。お話も面白かったし、とても優しかったです。
でも、印象に残っている理由はそれだけではありません。
前述したとおり、その頃私はかなり仕事に対して自信を持っており、正直にいうとやや天狗になっているところもありました。「介護してあげている」という思いがなかったとはとてもいえません。
そんな私の鼻っ柱を優しく折ってくれたのがAさんです。
Aさんはお子さんはお一人でしたが非常に難産だったそうで、寝ているときのおむつ交換でよく子宮脱になっていました。老健は24時間看護師がいますから、そういった場合は看護師に報告すると子宮を納める処置をしてくれます。
それをいつもかたくなにAさんは断りました。「自分の体は自分が一番わかってる。ほっといたら治る」「これと私は70年以上付き合ってるんやから」。
そしていつも笑顔でこういうのです。
「100歳なっても女は女なんやでえ。恥ずかしいもんは恥ずかしいんやでえ」。
このセリフと、「世話するん大変やろ、ありがとうなあ。でもなあ、世話されるほうも大変なんやでえ」というセリフに、私は本当に目が覚める思いでした。
嫌味でも説教がましいわけでもなく、ニコニコして大切なことを教えてくれたAさん、この出会いで私の介護の仕事への考え方は変わりました。
「仕事させてくれてありがとうね」、Aさんにも、もちろん他の利用者さんにもそういいながら介護ができるようになったのです。
ちなみにAさんは骨折後一年の101歳のとき、歩けるようになって元気に退所していかれました。
まとめ
介護の仕事をしていると、慣れてきたころに勘違いするしてしまう人も少なくありません。してあげている、そういった思いが知らず知らずのうちに顔に出ている人もいます。
そして恥ずかしながら私もそんな介護職員の一人でした。
Aさんはえらぶることなくたくさんのことを教えてくれました。戦争の話や戦後の苦労、でもそれ以外の楽しかった人生の話。
私はそれを聞くことで、今は要介護者になっている高齢者の方々にも若いときがあり大切な思い出や人生があった、そんな当たり前のことに気付かせてもらったのです。
人には人生がある、その先がたまたま要介護状態だったとしてもそれがすべてではないということ、若いときに教えてもらえたことを本当に感謝しています。
ライタープロフィール
ふうこん
老健、特養、デイ、ヘルパーを経て現在は居宅のケアマネをしています。
資格:ヘルパー2級、介護福祉士、認知症実践者研修、全身性ガイドヘルパー、介護支援専門員