私が10年勤めた介護療養型病棟では、たくさんの高齢者の方と触れ合うことができました。今回は、その中でも最も印象に残っている利用者さんの話を紹介します。
入院から介護療養型病棟に移動されてくるまで
当時98歳だったAさんは、体調を崩されたことをきっかけに入院された方です。娘さんの話では、入院直前までは経営する書店の店番をされるほど元気で、常連のお客さんと話をするのが一番の楽しみでした。Aさんは早期の自宅復帰を目指し、リハビリを頑張っていました。しかし、入院中に転倒して足を骨折し歩行困難となり、自宅に帰ることが難しくなりました。そのため、自宅から近く慣れた環境であった病院での生活を希望され、99歳の時に介護療養型病棟へ移動となったのです。
介護療養型病棟では「口だけは元気」
介護療養型病棟に移動されたAさんは、車いすでの生活が主となっていました。自分で車いすを操作して院内を動き回っては、他の利用者さんやスタッフとよくお話をされるなど、とても元気に過ごされていました。
しかし、徐々に身体機能の低下が目立つようになり、100歳を超えた頃からは車いすを自分で操作することができなくなりました。また、ベッドから車いすへの移動やトイレに行くこともままなくなり、101歳の時にはすっかり寝たきりの状態に。それでも食事は自分の力で食べられていましたし、他の利用者さんやスタッフとの会話は以前と変わらず楽しまれていました。特に、毎日来られる娘さんとは親子げんかをするほどで、「本当に口だけは元気なんだから」と娘さんに言われてけんかが終わるというのが日常となっていました。
その後も徐々に身体機能は衰えていき、102歳になると体の自由はほとんど利かなくなりました。そして、一日のほとんどの時間をベッド上で過ごすようになります。食事だけはホールで食べられていましたが、普通の車いすでは姿勢を保つことが難しく、リクライニング車いすへと変更せざるをえませんでした。この頃から、他の利用者さんやスタッフとの会話は減ってきていました。しかし、娘さんとは以前と変わらず親子喧嘩をするだけの元気はあり、102歳になっても「口だけは元気」は健在でした。
103歳の誕生日祝い
私の勤めていた介護療養型病棟では毎月利用者さんの誕生日会を行っていました。Aさんの誕生日も毎年お祝いさせていただいており、103歳の誕生日会には、スタッフ付き添いのもと参加されました。誕生日会では、他の利用者さまとも久しぶりにお話をされ、お礼のあいさつも以前のようなしっかりした口調で話されたのがとても印象に残っています。その日の夜は、誕生日会に参加できなかった娘さんに誕生日会の様子を事細かに話され、娘さんも喜ばれていました。
別れの時は突然に
誕生日会から2日後の朝のことでした。朝のおむつ交換を終わり、Aさんはスタッフと車いすで食堂に来られ、いつもと変わらぬ様子で食事を待っていました。スタッフが配膳を行い、食事介助しようとスタッフが隣に座ったとき、異変に気付きました。顔色が悪く、こちらの声掛けに全く反応しないのです。慌てて看護師を呼び、病室にお連れして医師を呼んだものの、残念ながらそのまま亡くなられてしまいました。担当医師の話では、異変に気付いた段階で心臓が止まっていたのではないかとのことでした。
まとめ
Aさんは体が動かなくなってからも、食事は食堂で食べたいと希望されていました。一度理由をうかがったところ、「食堂は他の方の声や職員さんの声がして、にぎやかだから好きなのよ。聞いているだけで元気になれるの。」と笑顔で言われたことが印象深く思いだされます。私は、大好きな食堂で皆さんの声を聞きながら亡くなられたということは、Aさんは天寿を全うできたのではないかと思っています。きっと天国ではたくさんの人に囲まれながら、大好きなおしゃべりを楽しまれていることでしょう。
ライタープロフィール
中村 楓
フリーターから介護の世界に入り、3年の経験を経て介護福祉士を取得し、今年で介護職は13年目。
2度の産休育休を挟みながら、介護の知識や技術を学ぶため、福祉住環境コーディネーター2級を取得。また、ポジショニングや口腔ケア、認知症介護実践者研修など多数の研修にも参加している。
今後は介護支援専門員を目指して勉強中。