「何となく」からスタートした私の介護職への道。まさかその後何年も働くことになるとは思いませんでしたが、介護職になると決意するまでのたくさんの出来事や出会った人たちの温かい言葉がありました。
周囲のすすめで入学した学校
私が介護の道に進むきっかけとなったのは、親や中学の先生の薦めで福祉科のある高校に進学したことでした。
それまでは介護の仕事に対しての特に強い印象を持っていたわけではなく、祖母から通っているデイサービスの話を聞いたりする程度で、「おばあちゃんがデイサービスに通いはじめてから明るくなったな。きっと介護の仕事って人を明るくするものなんだな」と何となく思っていました。
学校では卒業までに実務者研修(当時のヘルパー1級)と介護福祉士の受験資格が取得できるということもあって「資格も取れるし、一応勉強して自分に向いていなかったら仕事に就かなくてもいいかな」と軽い気持ちで考えていました。
そんな私の気持ちを「この仕事に就いてやっていこう」と強く思わせたのは施設での現場実習での出来事でした。
ぶち当たる介護の現実と無力感
それまで「何となく感」が強かった私には施設での現場実習はかなりツライものでした。
私が一番衝撃を受けたのは認知症の利用者さんとのコミュニケーションでした。
ついさっきまで楽しく会話をしていても、急に混乱して会話が成立しなくなってしまったり、大声で怒鳴ってきたり…。攻撃的な認知症の方も多くいて、挨拶をしただけで「うるさい!」と怒られお茶をかけられたこともありました。
いくら学校で学習していても、認知症の症状や行動を目の当たりにすると受け入れることができず戸惑い、どうにも対応できない自分に無力感を感じ「自分にはこの仕事は向いていないのかもしれない」と思い始めていました。
少し暗い気持ちになりながら施設職員さんに相談すると、
「ツラいと感じたときほど、自分らしく自然体で介護してみて。そうすると自分も利用者さんも気持ちが明るくラクになってくるから」とアドバイスを受けました。
自分なりに、少しずつ
私は今の自分に出来ることを精一杯やろうと決め、次の日から大きな声で利用者さん一人ひとりに大きな声で挨拶をし、笑顔で接することを心掛けました。
対応に困ることが起きても不安な表情を見せず、笑顔でゆったりと構えるようにすると、利用者さんも落ち着いて接してくれるようになり、少しずつその人らしさや会話の中でも楽しみを見つけることができるようになりました。
教科書通りの正しいやり方ではないかもしれないけど、自然体で自分から心を開いていくと相手も心を開いてくれる。
きっと仕事をしていくとこういうことも「自分の強み」にしていくのかもしれない、そんな風に思いました。
決意させてくれた言葉
実習最後の日、咽頭ガンで声を出せない男性の利用者さんに手招きをされ傍に行くと、男性は私の手を取り、手のひらを指でなぞりながら文字を書き、話してくれました。
「まいにち あいさつ ありがとう こちらまで げんきになれました」
「いい かいごしになれる だいじょうぶ」
そして最後に私の耳を男性の喉元に引き寄せて、空気が抜けるようなスカスカの声を振り絞って「がんばってな」と話しかけてくれたのでした。
この言葉を聞いて私は介護の道に進むことを決意しました。私でも役に立つことができるかもしれない、そんな風に心から思えたからです。
何も出来なかった私に「ありがとう」と言ってくれたこと、自分の頑張りを見てくれた人がいたこと、声を振り絞って励ましの言葉をかけてくれたこと、自分なりのやり方で接して少しずつコミュニケーションが取れるようになったこと。
この実習での経験が自信になり、私は高校卒業後に介護施設に12年間勤めることができました。
まとめ
仕事をしていれば必ず壁にぶち当たります、その時にいつも思い出すのは「ツラいときほど自然体で自分らしく」という言葉と、利用者さんに言われた「がんばってな」の言葉です。教科書に書かれている事と実際の現場は同じではないから、職員も利用者さんも「その人らしさ」があって当然。働く人も自分なりのやり方で介護する事の喜び楽しみを見つけていって欲しいと思います。
ライタープロフィール
ぱんだママ
高校の福祉科を卒業後、介護福祉士を取得し12年間福祉施設勤務。現在は子育て中のため退職。